Simon Jeffes

1949年、イギリスのSussexに生まれる。
13歳の時にギターを弾き始め、友人とバンドを作る。
高校卒業後、音大に進む前の2年間にジュリアン・ビザンチンの下でクラシックギターを学び、色々な先生から一般音楽理論について学ぶが、音大には進んだものの途中退学し、オメガ・プレイヤーズというギルバート・ビベリアンズ・クラシカル・ギター・アンサンブルを結成。古典音楽とこのグループのために作曲された現代音楽をレパートリーとするバンドだった。
1972年、ルパート・ハインとの交際からコマーシャル・ミュージックにも関係するようになる。

このころから並行してペンギン・カフェ・オーケストラ(P.C.O.)を結成。
ペンギン・カフェの由来には二つの説があり、アルバムのライナーノーツによれば「1972年6月にサイモンが腐った魚を食べてしまい、その時の悪夢に出てきた”ペンギン・カフェ”と言う名前に由来している」と言う説と、以前あったP.C.O.のオフィシャルWEB(*1)では「1972年、南フランスの海岸で日光浴しているときに浮んだ」と記されていた。
いづれにしても、このアイディアを基に同年京都の友人の家に居候していたときに書いた曲が「Penguin Cafe Single」という曲だった。

’74年にZOPFと言うグループ名でこの曲などをレコーディング、その後’76年までに「ペンギン・カフェ・カルテット」として録音した作品をまとめ、グループの一員でもあったスティーブ・ナイの紹介でBrian Enoと知りあい、Enoのオブスキュアレーベルから「Music From The Penguin Cafe(ようこそペンギン・カフェへ)」をリリース。

その後、様々なダンスホールやコンサートでの演奏活動や、映画音楽のレコーディングなども行い、1981年7月には2ndアルバム「Penguin Cafe Orchestra」をリリース。
翌年、初の来日公演を果たし、この模様はNHK-FMでも放送された。
この時にサイモンがかねてから望んでいた坂本龍一氏とのコラボレーションが実現。オムニコードと坂本氏のシンセ、そして矢野顕子さんの声を加えて”THE Snake and THE Lotus”という曲が出来る。

’83年、二度目の来日公演を果たす。(おそらくこの時に、坂本龍一氏のアルバム「音楽図鑑」の”REPLICA”という曲で共演していると思われる)

’84年、3rdアルバム「BROADCASTING FROM HOME」リリース。
最初の来日公演でも演奏されていた”ISLE OF VIEW”や、坂本氏とのコラボレーション作品”THE Snake and THE Lotus”をP.C.O.としてアレンジした”HEARTWIND(心風)”などを収録。

’87年春にはSIGNS OF LIFEをリリース、これに前後して同年3月にはロンドン・コンベント・ガーデンでのロイヤル・バレエの公演『トリプル・ビル』のハイライトとして新作「Still Life At Penguin Cafe」が上演される。この作品はこれまでのPCO の作品8曲をアレンジして新たにバレエ音楽用に作られたもので、何種類かの擬人動物たちが登場するというユニークなものだった。
同月22日にはPCOを率いてイギリスのTV番組に出演。”SIGNS OF LIFE”からの何曲かを演奏する。

同年7月9日、ロンドンのROYAL FESTIVAL HALLでコンサートを行い、翌年にこの模様を収録したライブアルバム「WHEN IN ROME…/LIVE(黄昏のローマ/ライブ)」をリリース。また、前途のバレエ作品”Still Life At Penguin Cafe”のビデオを’90年にリリースする。

’93年12月、ビデオ作品も含めると7作目にあたる「Union Cafe」をリリース。
事実上、このアルバムがP.C.O.としての最後の作品となる。
’92年にJohn Cageの死亡のニュースに応えて作曲した”Cage Dead”と言う作品も収録。
この曲は全てC.A.G.E.の音階から引きだされ、ピアノはD.E.A.D.の音を弾いており、常にその順序と法則で出来ている。しかもこの曲の長さが4分33秒(*2)である。

’94年7月12日、イギリスのBeckingtonにあるWool Hallにてコンサートを行い、翌年WINDAM HILLより、この演奏を収録した2枚組アルバム「CONCERT PROGRAM」をリリース。
ライブ演奏ではあるものの、観客の拍手など一切カットし、さながら全曲新録音のベストアルバムである。しかし、残念なことにこれがサイモンの最後のプロデュース作品となる。

翌’96年、Virginよりベストアルバム「Preludes Airs & Yodels」をリリース。
“Music for a Found Harumonium”のPATRICK STREETによるカヴァーと、P.C.O.の同曲のthe orbによるリミックスを収録。

そして、1997年12月11日、脳腫瘍のためこの世を去る。
48才という若さだった。


*1 当時 www.zopf.com というドメインでPCOのオフィシャルサイトが運営されていたが、Simon他界後そのドメインが他人に渡ってしまい、今では全く違う内容が同ドメインで運営されている。なお、現在はwww.penguincafe.comがPCOのオフィシャルサイトである。
*2 John Cageが残した名曲「4分33秒」。これは4分33秒間全く無音のピアノソロ曲である。

参考:ライナーノーツ(LP:Penguin Cafe Orchestra,BROADCASTING FROM HOME,WHEN IN ROME…LIVE,UNION CAFE)、www.zopf.com